めくるめくの理念

拝啓 みなさま

はじめまして、木端みのともうします。
漫画家としてマンガを描いてくらしています。

最初に知っておいてもらいたいのですが、
わたしの話は少し長いです。
成功を経験したいろんな人たちは
「話をかんけつに」「わかりやすく」したほうがいいといいます。
でもわたしは長くて、すぐにはわからない話が好きなのです。

短く要約(ようやく)した話には、温度があまり感じられません。
温度とは…
その人が「古い建物」を見て、(古いな、汚いな、壊せばいいのに。)と思うのか
(古いな、あったかいな、残せたらいいのに。)と思うのか
それがいま抱えている問題にすぐに答えてくれなくても、
そういうことは大事だと思うんです。
その人が虫を平気でつぶす人か、怖がって近づけない人か、触って仲良くなりたい人かわからないうちに
ほんとうの友達になれますか?

時間がない、というかもしれません。
そんなわけのわからない、勉強になるかわからない話聞いてるヒマないよ。

じゃあ、レビューの星の数や、口コミや、その人が掲げている年収に
その貴重な時間を預けられますか?

答えはすぐ、問題を解決してくれるかもしれません。
でも、そのあと「同じじゃないけど似たような問題」にぶつかったとき
ズラしたり組み合わせることでなんとかする能力を鍛えることができません。

わたしは漫画以外の本を読みます。
お笑い番組を見たり、音楽を聴いたり、公園で年がはなれたかたとお話したり
そういうことにもかなりの時間を使います。
それは漫画に生かせるから、そうしているわけではありません。
漫画に生かしたいなら、まずプロトタイプ(たたき台)をつくり、ターゲットを絞り、限定的で深度がある取材をした後、すぐに作品制作にとりかかり、クオリティを上げることに時間を費やすのが効率的な正解だと思います。

いまは、ですね。ウケようと思えば、そうするのが正しい。
今の人が面白いと思うものに合わせて作ると、
この時代の人にしっくりくるし、現代の人の心を救うと思うし、売れる。

けど、状況はかわり続けますよね。
たとえばだけど、有事(国をゆるがす大きな事態)が起こることを想像する。
多くの人が面白いと思うものってすぐ変わります。

そこに合った答えを知らないと、迷って描けなくなってしまう。
答えはあるとは思います。『方丈記』とか、そうですよね。

ただ、自分の中にぴったりな答えが見つからない時でも
ズラしたり、組み合わせたりすることで答えを作り出して解決できる。
そのすべが、お笑い番組を見たり、音楽を聴いたり、公園のベンチで
人生の先生に木や草花の話を教えてもらうことだったりするんです。

好きで満たされた時間のなかで自然とわき上がってくる
「描きたい」の気持ちを、ただ描けばいい。

もし、それが売れなかったら?誰にも読まれなかったら?
と思うかもしれません。
そしたら、別のしたくない仕事をしなければいけなくなるじゃん…。
それは、そうですよね。しょうがないですよね。
別に、社会に合わなかったからと言って合わなかったというだけで
間違いだったということにはならないんじゃないですか?

なのに「自分が間違っていた」と思って、
周りに合わせて描きたくないものを描くこと。
したくない仕事をすることと、どこが違っているのでしょうか?

さて、長くなってしまいましたね。
お茶でも飲みましょうか。角砂糖はいかがですか?

マンガに生かしてもらっているわたしは、
機械がお話をつくったり、絵をかいたりできるようになった現在
すこし怖いとかんじていることがあります。

「簡単」のせいで「たいへん」のなかにあるよろこびが失われることです。

みなさんはどうかわからないのですが、わたしは漫画を描きはじめたとき
思ったようにかけなくて、つらい思いをしました。
他の友達よりも下手だったし、雑誌にのっている作品よりもちろん下手だった。
できないのが嫌で、うまくなりたくて、ずっと一生懸命描きました。
デッサンやひとつひとつの漫画の勉強には、いままで経験したことないむずかしさがありました。
でも、時々、ふいに「前より、ちょっとできた!」と思える時があって
その瞬間がうれしくて、もっと描きたいと思って描き続けました。
今思うと、その状態が『夢中』でした。
つらいと思っていた時も、やめたいと思っていた時も、めんどくせぇとわめいていた時もです。ずっと夢中でした。
描きあがったものはいつも完璧なわけではありませんでした。
お金にも評価にもつながらないこともあった。
でも、自分で考えながら描いている間はたしかに楽しかったんです。
できたものが理想とは程遠くても、その過程は楽しかったんです。

それが、私が「自分には漫画がある」と思える理由です。
たぶんだけど、「思ったようにできなかったから楽しくない」と感じ
道のりがつまらないと思ったら向いてないのかもしれません。

だって、思ったようにできないことっていっぱいありますよね。
お金にならないことも、評価されないこともいっぱいある。
どんなに面白い作品であっても、売れないことがある時代ですよ。
自分の外側のことであり、運も含まれる。
努力でどうにかできる限界を超えた先の話。
そこにしか「楽しさ」を見いだせないのは、向いてないのかもしれません。

いったん、周りを見渡して
ピアノを弾いたり、料理をしたり、手袋をあんだりして
それでも描きたかったら、また机に向かって描きたかったら描き出そう。

はじめから、簡単にできたり、才能があって苦労しなかったら
私は漫画を描き続けていなかったと思います。

このよろこびをなくしたくない。
それは、私の人生の中だけではない。
今生きている時代の中だけでもない。

人類が続く、その間ずっと残ってほしい。

それが私がたびたび話す、
「人が描くことを残したい」という言葉の
「人が描くこと」の意味です。

300年先、AIで漫画を描く人もいる。
デジタルで描く人も、アナログで描く人もいる。
その未来に向けて、漫画を描くことや描く道具
鉛筆、消しゴム、Gペン先。
出版社やまちの本屋さん、紙をめくる感覚、インクのにおい。
残していきませんか?

そのために、わたしは漫画を描くことをもっと身近にしたいんです。
日本の人口は減っていく。そのなかでも、もっともっと描く人を増やしたい。
公園のベンチで席をつめて、横に座ったおばあちゃんにも描いてほしい。
彼女だけが描けるマンガを読みたい。
そう思っています。
あなたはどうですか?

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